残忍さを描くことを目的にする作品に思うこと②

続き)
一番嫌いな作品、それはこの世界には間違いなく存在するであろう凄惨極まりない出来事を描くことを目的とするフィクションの作品だ。
ここで対象とする凄惨極まりないとは、言葉にするのもはばかれるので、連想ワードを並べるなら、拷問、エログロ、ナブリコロス、本能や欲望のおもむくまま、イタブル、などの極度のものだ。
そういうものを、嫌と言うほど見せつけておいて、『ドヤッ』みたいなシタリ顔をする作品、混沌や狂気といったものにざっくり包み込んで「深いっしょ?」的芸術作品然としてるやつ、『平和ボケしてるお前らに現実を見せてやる』的なスタンスで描くあくまで創作の映画や小説、漫画にはムシズが走る嫌悪感を覚える。
それを描くお前らは、本当にその底無しの闇を見ながら、それを人に提示して良い気になれんのか?って思う。というより、本当にその闇を覗きこんだもの、体験したものは、それは出来ねぇだろうが、あめぇのはどっちだって思う。
おそらく僕ら人間は、本当のそんな闇に対峙し、否応なく巻き込まれたとき、精神が耐えられない。
ハードボイルドみたいに、スタイルで受け止められるほど、そういう出来事は優しくない。
そういうことを描くこと自体を決して否定しない。
だから、勝手な自分の願いだけれども、描くなら以下の3つの方法しかないと思う(今のところ)。
①とことん凄惨、残酷な行為をする側に立って描く。
被害者の視点にも立たず、その気持ちも、また周りの評価にも想像を馳せることをせず、ただ自分の嗜好として描く。
それなら、論理的には意味がわかる。
その場合、その作者は自分にその凄惨極まる出来事が降りかかったとき、死ぬほど自分の想像力の欠如を憂いていただいたら良い。
②自己の恣意や思いを挟まず、出来るだけ出来事を客観的に描く。
これはとんでもなく難しいと思う。その作品を作りながら、そこに恣意を出来るだけ挟まないでいること。出来事に謙虚でいること。でも、そういう作品は存在するし、それは僕なんかからしても、すごく素晴らしいものだと感じられる。
③そういう作品を描くなら、その作者が覚悟を決めているもの、責任をとろうとするもの。
端的にいうなら、その作品に出てくるその悲惨極まりない出来事に巻き込まれている人物にひたすら寄り沿って欲しい。
ハッピーエンドにはもはや出来ない、それなら、とことん作者自身がその登場人物を愛して欲しい。

以上